平成23年度 東北・北海道地区JA青年大会 JA青年の主張発表 最優秀賞受賞作品

野 良 (のら)主 義(イズム)

JA秋田ふるさと青年部増田支部 佐々木拓哉

私の住んでいる横手市増田町は、県内一の果樹産地で、我が家はリンゴ・モモ・米を生産する専業農家です。父はJAリンゴ部会長、母は女性部役員、そして妹はミスリンゴとして、JAの様々なイベントに協力し、リンゴの販売やPRに貢献しています。

しかし、長男である私はただの家事手伝い。会社に勤めたこともありましたが、人よりも覚えが悪く、ミスを連発し、会社に居られなくなった私は、逃げるように実家に戻って来たという、情けない履歴書を持っています。決まった給料が貰えるわけでは無かったので、こづかい欲しさに、地元のトラクター組合と、JAフルーツセンターでアルバイトを始めました。

ところが、トラクターもろくに運転できず、組合員の田んぼを潰したり、フルーツセンターの冷蔵庫にフォークリフトで穴をあけたりと、今でも語り継がれるような失敗をたくさんして、周りの人からの冷たい視線を毎日浴びていました。

「こら!ちゃんとやれ!」

「何やってんだ、このノラ!」

「それ、さっきも教えだべ!」

ここでも、勤め時代と状況は全く同じ。

「やべぇ、オレの居場所ねぇ・・・」

そんな時、青年部の先輩から「神奈川さ田植えしに行がねが?」と誘われました。

それは青年部の一大事業、「田んぼの学校」です。神奈川県の小学校で、子供たちと一緒に田植えと稲刈りを行うというものです。

今思えば、この事業に参加して青年部に入ったことが、私の人生を変えるきっかけになりました。

先輩達は、丁寧にわかりやすく、しかも楽しそうに農業のことを教え、子供たちと積極的に関わっていました。それに比べ私は、子供たちにどう話したらいいのか分からず、ただその場でボヤッと立って見ていることしかできませんでした。

「ちっくしょう!情けねぇ!何とかしてやる!!」

でも、どうすればいいのか分からずJAの担い手担当者に相談すると、果樹試験場の研修制度を教えてもらい、研修することにしました。

研修を始めたころは、作業に時間がかかったり、覚えるのが遅かったりと相変わらずでしたが、少しでも学んだことを生かすために、休みの日も家で仕事の手伝いをするようにしました。青年部の行う摘果講習会や剪定講習会などの事業に意欲的に参加したことで、ただ難儀だと思っていた農作業が少しずつ理解できるようになり、早く自分の手でリンゴを作りたいと思い始めました。

2年間の研修が終わり、就農した昨年、年明けから止むことなく降り続いた豪雪によって、我が家のリンゴの木はすっぽりと埋まってしまいました。わずか2週間程で、3m近くも積もった雪により、枝が引きちぎられ、壊滅状態となったリンゴ畑。掘っても掘っても積もる雪に、もう何度逃げ出そうと思ったことか・・・。幼い頃から一緒に育ってきたこのリンゴ畑を無くしてしまっては余りに悲しいことだと思った私は、朝から晩まで黙々と雪を掘り続けました。

8代かけて築いてきたこの土地、この地域の宝であるリンゴ畑を守らなければという強い使命感と郷土愛が、私の中に芽生えました。

手伝いに来てくれたJA職員と共に私は懸命に雪を掘り、電動ドリルやボルトナット、カスガイなどの大工道具を持ち、とても果樹農家とは思えない恰好で、折れたリンゴの木の修復に努めました。

そんな中、あの大震災が発生。

私が住む地域でも、電気や水道が止まり、ガソリンなどの物流も滞り、様々な食品で溢れていたスーパーの棚は一瞬にして空になりました。電気が復旧してすぐに、東京の親せきから、「食べ物が全然ない。大至急、食糧を送ってほしい」と電話が入りました。

ふだん、何気なく口にしている食べ物。それが手に入らなくなるということが、どれだけ人々の生活に、そして世の中に影響するのかということを目の当たりにしました。

人が生きていくうえで最も重要な「食」を根本から支え、人々の命に携わっている「農業」という仕事は、とても尊い職業であると感じました。

同時に、主食ではないリンゴやモモを作っている私は、消費者にどのように関わっていったら良いかを初めて考えるようになりました。

昨年、「田んぼの学校」に参加するために、自ら進んで手を挙げ、4年ぶりに神奈川県の小学校へ行ってきました。

授業が始まると、私は無我夢中で先輩たちに混じり、気が付くと子供達と一緒に泥んこになっていました。

子供たちも徐々に自分を受け入れてくれ、キラキラした目で、私にたくさんの質問をしてきました。私はその質問に一生懸命答えました。

「お兄さんありがとう、手紙書くから読んでね」

「秋田に行きたいなぁ」

という声に、「青年部へ入って良かった、農業をしていて良かった。」という気持ちでいっぱいになりました。もっと多くの人達と関わり、消費者にとって身近な存在になりたいと思う様になりました。

この事業に参加するまでは”農業=モノを作って売る”という単純な発想しか無かった私ですが、青年部の食農教育を通じて農家の重要な役割に気づきました。それは、”農家と消費者が一緒に作物を育てることで、農業の大変さ、面白さを消費者に知ってもらう。それを伝え続けることで一人でも多くの人に食と農業への関心を持ってもらえるようにすること”です。

その役割を果たすために、生産者と消費者、そしてJAを巻き込んだ新しい農業体験のスタイルを確立することが必要だと私は考えました。その取組について、JA秋田ふるさとに提言します。

そのスタイルは、名付けて「野良(のら)主義(イズム)」。

「野良(のら)主義(イズム)」とは、観光を兼ねて農家や農家民宿に泊まり、一緒に野良仕事をしてもらうという、私が考えた言葉です。

JAが窓口になって、受け入れ農家は登録制とし、行政にも協力を依頼します。

そして、野良(のら)主義(イズム)受け入れ農家が独自の企画をし、現場の管理・接客を行います。幸い横手市は、交通のアクセスは良いし、かまくらや桜祭りなど観光資源も豊富にあります。そして何より様々な農産物を作っている農家がたくさんいるので、特色あるおもしろい企画がどんどん生まれると思います。

 

私の計画案を申し上げます。

一つ、野良(のら)主義(イズム)受け入れ農家に登録します。

一つ、収穫作業だけでなく、それまでの難儀な野良仕事も、分かりやすく、 丁寧に指導します。

一つ、年に何度も来ていただけるような魅力ある体験コースを設けます。

一つ、作業の後は、地元の温泉で裸の付き合いをしてもらいます。

 

我が家で栽培している果樹は、年間を通して様々な仕事があります。受け入れ農家に登録したあかつきには、収穫までの野良仕事に加え、冬は山のリンゴ畑までスノートレッキング、夏は乗用草刈り機でのレースなど、楽しい企画を考えています。

昨年新たに、モモ10a、リンゴ30aを増やしました。収穫できるまで早くてモモは3年、リンゴは5年かかります。もぎ取り体験だけでなく、苗木が成木になっていく過程も見せたいと思います。

子供達だけでなく、大人も巻き込んで、農業の魅力や大変さ、さらに、この地域の温もりを理解してもらえるよう、精いっぱい頑張ります。

今はもうただの家事手伝いではありません。目標を持った担い手としての第一歩を踏み出しました。この「野良(のら)主義(イズム)」というスタイルで地域に、そしてこれからの農業に貢献していきます!

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